伝統文化に触れよう!お盆の由来や意義について。
当店のホームページをご覧頂きまして誠にありがとうございます。梅雨の湿気と初夏の爽やかな気候が交錯し、美しい紫陽花が雨に映える季節となりました。心身の健康に気を配りながら、元気に過ごしましょう。さて、今回は時期が迫ってきたお盆に関する由来や重要性などについてご紹介いたします。
■お盆の由来と意義とは?
「お盆」は、仏教における「盂蘭盆会(うらぼんえ)」、または「盂蘭盆(うらぼん)」を略した言葉とされています。ご先祖様の霊を供養するために行われる期間であり、ご先祖様の霊が一時的にこの世に帰ってくるとされています。ご先祖様を迎え、供物を捧げ、法要や供養を行います。お盆の期間は地域や宗派によって異なり、一般的に8月か7月の中旬に数日間行われます。
「お盆」の起源には、「仏説盂蘭盆経」に登場する目連尊者(目犍連/モッガラーナ)の物語があります。目連尊者は修行中に家族の姿を見かけ、亡くなった母親のことを思い出し、釈迦如来から学んだ神通力を使い母親を探しました。しかし、母親は苦しい餓鬼道にいることを知り、母親を救済すべく尽力します。
目連尊者は母親がなぜ餓鬼道に落ちてしまったのか原因を知りたくなり、仲間に尋ねると、優しかった母親に出家する際、「物を乞う人がいれば施しを与えて下さい」と頼みました。最初のうちは施していましたが、目連尊者を思いやるあまり、他の人に対して物を出し惜しむようになり、その結果、母親は餓鬼道に落ちたのです。
目連尊者は母親を救済すべく尽力しますが、うまくいきませんでした。そこで、釈迦如来に相談し、「夏の修行が終わった僧侶に食べ物や飲み物を施しなさい。そうすれば、母親は餓鬼道の苦しみから救われるだろう」と教えを受けました。目連尊者の努力によって母親の苦しみが軽減され、救済されたと記されています。
このように、お盆の期間中はご先祖様だけでなく、餓鬼と呼ばれる苦しみにあえぐ存在にも配慮がなされます。そのため、施餓鬼会(せがきえ)と呼ばれる行事もお盆期間中に行われています。
■施餓鬼会と阿難尊者
施餓鬼会(せがきえ)に関しては釈迦如来のもう一人の弟子である阿難尊者(アーナンダ)に関連しています。ある日、阿難尊者の前に火を吐く餓鬼が現れます。この餓鬼は、餓鬼道に住む、苦しみにあえぐ存在の一つです。阿難尊者は餓鬼から「お前の寿命は残り3日だ。死後は餓鬼道に落ちるだろう。多くの餓鬼や修行者、仙人に対して供物を施しなさい。そうすれば助かるだろう」と告げられました。
阿難尊者は困り果て、釈迦如来に助けを求めました。釈迦如来からは「このお経を唱えて施しをすると、供物が増えてみんなに施すことができる。」と教えられました。阿難尊者はその教えに従い、供物を増やすことができ、結果として寿命を延ばし、天寿を全うすることができたと伝えられています。
阿難尊者は釈迦如来の最後の弟子の一人とされており、釈迦如来とともに過ごし、多くの教えを学び、教えを広める役割も果たしました。餓鬼への施しの教えが広まり、施餓鬼会として現在も実施されています。
■まとめ
お盆と施餓鬼会の両方には、餓鬼の存在が関連しています。お盆はご先祖様の供養の期間であり、施餓鬼会では餓鬼への施しを行います。両者に共通する教えは、ご先祖様や亡くなった方々への供養だけでなく、苦しみにあえぐ他者への思いやりや施しの心を持つことの重要性です。では、次回はこの教えに対して、どのように思いやりや敬意を示せばよいかをまとめたお話をしたいと思います。お盆中をどのように過ごせばよいか、何を用意して、どのようにすればよいかといったお話をまとめたいと思います。